(その1からの続きです)
で、なぜ私はこんなことが好きなのか?
ここからは長い話になります。時間が有り余ってお暇な方 yuccoとやらに興味を持ったぞという稀有なお方は、この先にお付き合いいただけると嬉しいです。
生い立ち
私をピッタリの変態にしたもの。その原点は、幼い頃から持っていた、人や家に対する”得体の知れない違和感”でした。
生まれ育った家は、私を含めて6人家族。これがなかなかの変わり者揃い。祖父の話しかけてくる言葉は他人行儀な社交辞令のようだったし、祖母のエラそうでヒステリックな言動にまともな中身を感じたことはなかったし、叔母はひきこもり、婿養子の父は毎晩のようにヘベレケで午前様。唯一母だけは信頼のおける関係でした。
古い土壁の日本家屋なのは良かったのですが、致命的な間取りの悪さが、こんなバラバラな家族の居場所がなぜかダイニングテーブルしかないという悲運を生み出し、そこは度々小学生の私と祖母の口論が激しく火を噴く戦場と化していて、とても安住の地ではありませんでした。
そんな家族や家に対し、一体この人達はなんなのか、この家はどこか変だ…という得体の知れない違和感をずっと抱えながら、どこか冷静に観察しているような子供でした。
また、小学校、中学校では、突然女の子達に無視されるということもありました。いきなりのことに驚き、恐怖心や不安はあるものの、それよりもこの子どうしちゃったんだろう…と、やはり相手への違和感から妙な興味を持って観察していたのを覚えています。
一方、ひとりっ子の特技、一人遊びで好きだったのは、レゴブロックで家を作ること、家の前の森の木に登ること、屋根の上に登ること、本の世界に入り込むこと。空想と妄想ですね。その中でも家というものに興味を持ち、小学生の時からなぜか建築家になると決めていました。
建築関係に進む道は迷いなくあっさりと直線的に進み、楽しい学生生活を経て住宅リフォームの会社に就職してからは充実の日々でした。沢山のお客様と出会い、人の数だけ全く違う人生の話を、母親ほど歳の離れた人生の先輩女性の方々(住宅リフォームのプラン主導者はほぼ奥様)から聞かせていただくことはとても楽しく、自分一人では体験することのない人生を割増して経験させてもらったような気持ちになりました。それぞれの好み、生活パターン、ライフスタイルや言葉として出てこない望みなどを感じ取り、それに合う提案で喜んでいただける家づくりをすることは天職のように思えていました。
しかしこの先、違和感の矛先が今度は自分に向くことになるとは、この時はまだ気付いていませんでした…。
その3に続く